650年守り続ける地域の伝統〜青森県黒石市大川原の「火流し」〜

こんにちは!あちこちに遊びに行き過ぎて、卒論が進まない澤です。
1ヶ月前にも全く同じことをつぶやいておりました。あーあ。

さて!今回はなんとびっくり、650年以上続くと言われる奇習・「大川原の火流し」についてご紹介します。
青森県黒石市にある「大川原」という集落のお祭りで、毎年8月16日に開催されます。

昨年、ご縁があって大学のゼミのメンバーで参加させて頂いたのですが、そのド迫力と地域の方々の熱い想いに感動。
来年も絶対に参加するぞ〜、とみんなで約束し、遂に楽しみにしていたこの日を迎えたのでした。

黒石市とは

さて、本題に入る前に大川原がある黒石市について簡単にご紹介しましょう!
黒石市とは、青森県の津軽地方にある人口3万6千人ほどの地域です。

駅近くの市街地には「日本の道100選」に選ばれた「黒石こみせ通り」があり、伝統建築や昔ながらの商店が並ぶ光景は、とっても懐かしい気持ちになります。

また、温泉のまちとしても有名!
温湯、落合、板留、青荷の4つの温泉は「黒石温泉郷」と呼ばれ、昔から湯治場として栄えました。

地域の伝統文化に触れられる「津軽伝承工芸館・こけし館」もおすすめですよ〜

ご当地グルメ・「つゆやきそば」

そして黒石を語る上で忘れてはいけないのが、ご当地グルメ「つゆやきそば」!
な、なんとこれ、おなじみのソース焼きそば(平打ち)が和風だしに浸かっているという、一風変わったお品なのです。

おそるおそる食べてみると…笑、おっと?!なかなかおいしいではないですか!!
おすすめの食べ方は、まずはおつゆを一すすり。
その後、麺を頂くと焼きそばのソースと和風だしが絡まり、全く新しいハーモニーを奏でます(食レポ風)。
こんなにおいしいとは思っておりませんでした、大変失礼いたしました…。

つゆヤキソバンというゆるキャラもいますよ〜

■大川原の火流しとは

さて、ここからが本題!大川原の「火流し」のご紹介です。

火流しの起源


(写真は青森市出身のクレヨン画家・孫内あつしさんによる火流しの絵)

時代は遡ること約680年前、朝廷が南北に分離していた南北朝時代。
96代後醍醐天皇の皇子であり、歌人としても有名な宗良親王が信濃国に身を置いていた時のこと…
豪族で戦国武将の香坂高宗が、長年に渡って親王のことをかくまってくれていました。
それから時がたち…高宗の子孫が戦いに敗れてたどり着いたのが、この「大川原」だったというのです。

彼は南朝方の戦死者の慰霊と故国をしのぶため、精霊流しを始めました。
この精霊流しが「大川原の火流し」という形となり、今も脈々と受け継がれているのですね!
現在では、翌年の豊凶占いや、無病息災・集落の安全への祈りといった意味も込められています。
昭和58年には県の無形民俗文化財に指定されました。

火流しってどんなことやるの?

火流しは毎年8月16日の夜、集落を流れる「中野川」にて行われます。この日にちは絶対に変えることはありません。
川に流していくのは、アシガヤを編み上げた長さ3mの舟3隻。
「アシガヤ」とは県の中南西部を流れる「岩木川」の流域に見られる植物です。


(写真は舟を再現した小さな模型です)

この3隻の帆柱に火をつけ、1隻を集落の若い男性5、6人で引いて川を下っていきます!
男性たちが身につけるのはすげ笠、野良着、わらじ。

舟の火を消さないように「ヤーレ・ヤーレヤー」とかけ声を発しながら、下流の大川原橋までの数100mを一気に下るのです。
時には大岩にぶつかり、深みにはまりながらも下流を目指して必死に舟を引いていきます。
この難コースを、危険を厭わず勇ましく下っていく男衆の熱意に脱帽!

無事に舟が下流に着くと、若者衆が川から上がってお神酒をもらいます。
本当にお疲れさまでした〜

今年は一味違う!

実は今年の火流し、いつもとはちょっと違う盛り上がりをみせたのです…その理由とは…っ!!

火流しのもう一つの見所は、はっぴを着た集落の人々によるお囃子。
子どもたちと囃子保存会のメンバーが川岸に列をなし、舟とともに下流に向かって歩きながら、哀愁漂うメロディーを繰り返し奏でます。

そんなお囃子に、火流し始まって以来初の(おそらく)できごとが…
なんと完全なる「よそ者」が演奏者として参加し、しかも列の先頭にたって笛を吹いたのです!その「よそ者」が写真の金子香織さん。

実は彼女は私が所属するゼミのメンバーで、東京生まれ東京育ちの大学4年生。
昨年も一緒に火流しを訪れ、その打ち上げに参加して笛を吹いてみたことがきっかけで、保存会の方との交流がはじまりました。
もともとフルートを演奏している金子さんの飲み込みは相当早かったようで、集落の人たちも大絶賛!

打ち上げでは「もつけ」の称号を頂いたという金子さん。
津軽弁で「ばか者」を意味するのですが、これはもちろん、「ぶっとんだ天才」を意味する最高の褒め言葉!
よそ者が参加することで、集落の人たちにとって改めて自分たちの地域に誇りを持ち、魅力を再確認するきっかけになったのではないでしょうか。
なんと地元紙にもいくつかインタビューが掲載され、地元メディアからも注目を集めました。
友よ、やるではないか!

終わった後は集落のみんなで打ち上げ!

火流しが終わると、集落の人たちは一斉に「大川原温泉」の宴会場に集まります。
宴会中には、黒石市で英語を教えているカリフォルニア出身のイアン先生が津軽三味線を披露しました!
イアン先生は昨年初めて火流しに参加し、今年も集落の人とともに舟を引きました。
日本の文化に関心があったというイアン先生は、火流し始まって以来初めての外国人の参加者です。

宴会は、良い子はご飯を食べたらすぐに帰りますが、大人たちは夜遅くまでお酒を飲みながら語り合います。
そこで毎年語られるのは、「なんとかこの地域を守っていきたい」、「火流しを後世に伝え、ずっと続けていきたい」という集落の人たちの思いです。
実はこの集落は高齢化が進み、若者が市街地や県外に他出してしまっているという厳しい現状があります。
2006年には小学校(今は「お山のおもしえ学校」という観光施設に生まれ変わっています!)も廃校になってしまいました。


(「お山のおもしえ学校」として生まれ変わった大川原小学校)

しかし、去年も今年も、それを感じさせないくらいの「火流し」の盛り上がりと地域の人たちの熱意に触れることができました。
その思いが続く限り、地域社会と伝統が途絶えることはありません。
だって東京のよそ者が毎年来たくなるような素敵な集落なんだものね。

■まとめ

写真を見るとものすごい迫力ですが、このお祭りは人を呼び込むための見せものや「観光名物」ではありません。あくまで集落内の安全を祈願するごくごくシンプルなものです。
私も昨年はそのあっさりとした始まり方と終わり方にちょっと驚いたのでした。しかし、そのシンプルさこそが重要だと思うのです。

その場にいるだけで、650年つないできた火流しと集落に対する誇りが伝わってきます。
この伝統が、ずっとずっと続くことを祈るばかり。
この日お世話になった集落の皆さん、ありがとうございました!
そして、これからもよろしくお願いします!