ある高校生がSNSでつぶやいていた「等価交換」の話がとても感慨深いものだったので、あらためて価値というものを考える時間ができました。

今の想いを振り返るために、たまには哲学めいたことでもブログに書いておこうと思います。

そもそも価値ってなんなんでしょうか。
僕が価値について真剣に考えるようになったのは、30代終わりぐらいでした。

お金の起源と言われているヤップ島の石貨「フェイ」に関する書籍を読んだとき、お金も、たとえばLouis Vuittonやadidasというブランドも、その価値を生み出している源は、モノの構造ではなく、人間の意識のほうにあることを知りました。
それが「信用」というものなのだそうです。

信用は人間の頭の中で生み出している目に見えない存在ですが、その意識が集団化することで社会的価値を生み出します。心理学の世界では意識の集団化のことを「統覚の共有」と言うそうです。

では、統覚を共有させるためにはどうすればいいか考えたとき、仲間づくり、場づくりにたどり着きました。
ゆっくり時間をかけ、意識や視線、最終的には行動を一つのテーブルに集中させることで、信用と信頼を生み出していく。そのテーブルの先にチームができ、企業となり、まちができて、国が生まれる。
そこに国ができれば、信用の代理品である貨幣(お金)が生まれるわけです。

じゃぁ、「等価交換」ってなんだろう?ってところに戻ります。

僕は思うんです。
価値というものが人間の意識の中で作り出されるものならば、「等価交換」なんて言葉こそ、昔の商人が貧しい小作人を騙す(信用させる)ための都合のいい言葉だったんじゃないかなと。

人は眼前で見えているモノのほうがわかりやすいので惑わされますが、信用は「交換」されるものではない。交換は資本経済の中で作られた資産を移動させるルールでしかない。それだって人間が作り出した仕組みです。人間が作った仕組みなら、時代に合わせて進化しなければならないものだと思うんです。

つい先日も、京都の染物職人に会いました。
いまや高級品となった手描きの友禅染。そこでも着物の価値の話になったけども、「価格」が決定される内実は、職人の技が〜という話よりも、その先の商人が探り合う、実に人間らしい生々しい話です。
そして、伝統文化の世界でさえも、時代に合わせて変化を起こそうとしていました。

だから悩んでいる若者がいたら言いたい。
古い大人が作った習慣やルールに、ペテン師の言葉に悩まされている場合じゃない。
自分が信じる、やりたいことをみつけたら、思いっきりやればいいと思うんです。

だって、価値が信用であるならば、
価値は行動によってのみ生み出されるものなんだから。